第169回 天皇賞・春 GⅠ
4月28日(日) 11R 芝A3200m 4歳上オープン 定量
レコード(1.56.8 アドマイヤコスモス)
馬番 | 馬名 | 斤量 | 騎手 |
---|---|---|---|
1 | サリエラ | 58.0 | 武豊 |
2 | ヒンドゥタイムズ | 取消 | |
3 | プリュムドール | 58.0 | 和田竜 |
4 | ワープスピード | 58.0 | 三浦 |
5 | ブローザホーン | 58.0 | 菅原 |
6 | ディープボンド | 58.0 | 幸 |
7 | タスティエーラ | 58.0 | モレイラ |
8 | ゴールドプリンセス | 56.0 | 田口 |
9 | シルヴァーソニック | 58.0 | デムーロ |
10 | サヴォーナ | 58.0 | 池添 |
11 | マテンロウレオ | 58.0 | 横山典 |
12 | ドゥレッツァ | 58.0 | 戸崎 |
13 | スカーフェイス | 58.0 | 松若 |
14 | テーオーロイヤル | 58.0 | 菱田 |
15 | メイショウブレゲ | 58.0 | 酒井 |
16 | チャックネイト | 58.0 | 鮫島駿 |
17 | スマートファントム | 58.0 | 岩田望 |
18 | ハピ | 58.0 | 浜中 |
本紙 小松 |
爆穴 とっち |
カイザー |
---|---|---|
△ | △ | |
△ | ▲ | |
○ | ||
◎ | ||
▲ | ||
△ | ||
▲ | △ | |
◎ | ○ | ◎ |
○ | ||
△ | ||
歴史
JRA公式サイト■天皇賞(春)
天皇賞(春)は、京都競馬場・芝3200メートルを舞台に古馬最高の栄誉を懸けて争われる、長い歴史と伝統を誇る競走である。
■天皇賞の前身
1905年(明治38年)の5月6日に横浜の日本レースクラブが、明治天皇から「菊花御紋付銀製花盛器」を下賜されたことにより創設した「エンペラーズカップ」が天皇賞の前身。翌1906年(明治39年)には東京競馬倶楽部にも御賞典が下賜され、その後、阪神、福島、札幌、函館、小倉の計7つの競馬倶楽部で「帝室御賞典競走」として行われるようになった。
■第1回
1936年(昭和11年)に「日本競馬会」が設立されて、翌1937年(昭和12年)に各競馬倶楽部が「日本競馬会」に統合されたのを機に、「帝室御賞典競走」は春が阪神、秋が東京と、東西で年2回開催される現在のスタイルとなり、同年の秋のレースが第1回の天皇賞とみなされている(東京競馬場・芝2600メートルで開催)。その後、第2回の1938年(昭和13年)春は阪神競馬場・芝2700メートルで、3歳以上の馬によって争われ、第3回の同年秋からは、「4歳以上、芝3200メートル」の競走条件となり、能力検定競走として非公開で行われた1944年(昭和19年)春まで「帝室御賞典競走」の名称で行われていた。
■戦争による中断と再開
1944年(昭和19年)秋から戦争の影響で中断されたが、戦後の1947年(昭和22年)春に「平和賞」の名前で復活したのち、同年秋から現在の「天皇賞」に改称され、春は京都競馬場、秋は東京競馬場で開催されることになった。
■競走条件の変遷
1981年(昭和56年)春に“勝抜制”が廃止されて、過去の優勝馬にも出走権が与えられるようになった。これまで、タマモクロス(1988年春・秋)、スーパークリーク(1989年秋、1990年春)をはじめ13頭が2回以上天皇賞を優勝している。
長年、「4歳以上、芝3200メートル」という条件で行われていた天皇賞であるが、1984年(昭和59年)の競馬番組の変革により、秋は距離を芝2000メートルに短縮し、さらに1987年(昭和62年)から秋の天皇賞には3歳馬が出走できるように条件が変更された。これにより、春は4歳以上のステイヤー日本一を決めるレース、秋は3歳以上の中距離ナンバー1決定戦と、その性格が明確に分けられた。
伝統の一戦。勝ち馬も錚々たる面々が並ぶ。時折大穴が出ることもあり、予想も難解。